網走市歴史年表
江戸時代(1593〜1806)

●前松前藩領時代1593〜1806
文祿2年(1593)蛎崎慶広、豊臣秀吉からエゾ地支配の朱印状を受ける
慶長4年(1599)蛎崎慶広、松前氏と改める
慶長7年(1602)マテオ・リッチの世界地図に「亜馬是里」あらわれる
慶長9年(1604)松前氏、徳川家康からエゾ地支配の黒印制書を受ける(松前藩の成立)
貞享2年(1685)松前藩、ソウヤ場所を開く
寛延3年(1750)村山伝兵衛、ソウヤ場所を請負う(6年間)
宝暦6年(1756)浜屋与三右衛門ら3人、ソウヤ場所を請負う(5年間)
宝暦9年(1759)東エゾ地ノツシャプのアイヌ人、西エゾ地ソウヤのアイヌ人を攻めて多数を殺傷
安永4年(1775)ソウヤ場所をP年間の約束で飛騨屋久兵衛が請負う(着業後の8年間は村山伝兵衛が下請け)
寛政元年(1789)クナシリ・メナシ地方のアイヌ人、飛騨屋の虐使に反乱、和人余人を殺傷(寛政の乱)
1789.松前藩、飛騨屋の請負場所を没収し、村山伝兵衛に差配を命じる
寛政2年(1790)ソウヤ場所からカラフト場所独立、また、シャリ場所を分設し村山伝兵衛に差配させる
寛政8年(1796)村山伝兵衛の場所請負没収、ソウヤ・シャリ・カラフトの3場所、小山屋権兵衛の請負となる
寛政9年(1797)小山屋にかわり板垣豊四郎、3場所を請負う(3年間)
寛政10年(1798)谷口青山の「自高島至舎利沿岸二十三図」の第22図にアバシリ沿岸及び番屋のスケッチが描かれる
寛政12年(1800)ソウヤ・シャリ・カラフトの3場所、松前藩の直営とし仕入れは柴屋長太夫に任せる
享和元年(1801)エゾ地御用掛松平信濃守忠明一行、西エゾ地北海岸巡検途上アバシリに立ち寄る(松前藩足軽佐藤与惣次アバシリ駐在)
 この年、シラヌカ駐在の八王子同心、シベチャ〜シャリ間の山道を開さく
享和2年(1802)幕府、箱舘に蝦夷奉行をおく(5月箱舘奉行と改める)
 幕府、東蝦夷地を所領とする
●前幕府直轄時代(1807〜1820)
文化4年(1807)幕府、西蝦夷地をも収め全島直轄領とする  箱舘奉行を改め、福山に松前奉行をおく
 この年、津軽藩士ソウヤ詰230人、シャリ詰余人水腫病にかかり翌年にかけ病死者多数
文化5年(1808)藤野喜兵衛・坪田佐平・西川准兵衛の3名共同でソウヤ・シャリ両場所を請負う
文化9年(1812)藤野喜兵衛、アバシリ川河口右岸に弁天社を創祀(ご神体は弁財天、のち町民が譲受けて厳島神社となる)
文化12年(1815)ソウヤ・シャリ両場所、藤野喜兵衛が一手請負う
文化14年(1817)藤野喜兵衛、クナシリ場所を請負う
文政元年(1818)藤野喜兵衛、シャリのアイヌ人数十戸をクナシリ島へ強制移送(以後強制移送つづく)
●後松前藩領時代(1821〜1854)
文政4年(1821)幕府、東・西蝦夷地を松前藩に返領
天保3年(1832)飢饉はじまる(天保の大飢饉、8年まで
天保4年(1833)藤野家、箱舘に支店をおき柏屋猪兵衛と称する
安政元年(1854)幕府、箱舘奉行をおく
●後幕府直轄時代(1855〜1866)
安政2年(1855)幕府、松前藩からオトベ・キコナイを除く東・西蝦夷地を返領させ、箱舘奉行に支配させる
安政4年(1857)箱舘奉行堀織部正利煕北海岸を巡検、従者玉虫左太夫『入北記』にアバシリ・シャリ地方の役アイヌ人名など記す
安政5年(1858)藤野家、本店を箱舘に移し福山(松前)を支店とする(福山の猪兵衛を伊兵衛と改める)
松浦武四郎、アバシリ川をさかのぼり『戊午日誌』(西部安婆之利日誌)を著わす
 この年、深瀬洋春西蝦夷地のシャリ地方にかけて種痘を施す
安政6年(1859)アバシリ在勤幕吏、同心神野勝五郎から細野五左衛門にかわる
幕府、蝦夷地を奥羽6大藩に分領(アバシリ・サンナイは幕府直轄領、シャリ・モンベツは会津藩領、ソウヤ・リシリ・レブンは秋田藩領)
万延元年(1860)箱舘奉行支配組頭河津三郎太郎、アバシリ地方の幕・藩それぞれの領地に境界を画定
文久2年(1862)会津藩、シャリ・モンベツにおける藤野家の場所請負を罷免(アバシリは幕領のため存続)。また、儒者南摩綱紀、同藩の代官として6年間シャリ在勤
元治元年(1864)藤野家、アバシリ川河口右岸に稲荷社を創祀(明治28年オショップに移築)
慶応3年(1867)王政復古の大号令、天皇親政の御代となる
慶応4年(1868)清水谷公考ら蝦夷地鎮撫建議書提出
慶応4年(1868)朝廷、蝦夷地開拓の可否を下問
慶応4年(1868)箱舘裁判所設置決まる(閏4月24日箱舘府と改める)
慶応4年(1868)箱舘裁判所開庁
慶応4年(1868)江戸を東京と改める

江戸時代→明治時代

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